■ ハオルシア研究 21号 p.12~16 「分類に関心を持つ人に 林雅彦」
分類に関心を持つ人に 林 雅彦
A refutation to Mr. Kishi By Dr. Hayashi
この小文を書くきっかけとなったのは、岸密晴氏がカクタスガイド誌 (以後ガイド誌と略称) に載せた林への批判記事である。岸氏は同誌254号(2007)、263号(2008)、272号(2009)の3回にわたり、林の分類に対する批判や疑問を載せている。
これらの記事に先立ち、同氏は国際多肉植物協会ISIJに記事を投稿したが掲載を断られ、小林浩氏がハオルシア協会あてに本誌に載せられないかとその原稿を転送してきた。
しかしかなり長文で、かつ基本的な部分で認識の誤りや調査不足が多数あるので、やはり掲載は見送った。岸氏には認識の間違いや調べるべき資料を書いた個人的返事を差し上げた。
私が個人的手紙で返事したのは、誌上で議論すると基本的認識の誤りなども公に指摘せざるを得ないので、それを避けるためであった。しかし岸氏は私の返事には満足しなかったようで、同様趣旨の記事をガイド誌に連載した次第である。
岸氏は分類学については一通りの知識をお持ちのようで、一般人から見ると批判にはそれなりの根拠があるように見えるかも知れない。このまま放置すると私が彼の批判に反論できない=岸氏の見解が正しい、と誤解され、誤った認識が広がる恐れもあるので、ここでまとめて反論する次第である。
また、この反論を通じてここ20~30年に大きく変わった分類学を一般読者に理解してもらうこともこの小論の目的である。
ディームから話を始めよう。
分類学が最近大きく変わったのはディームに対する認識が研究者の間に広がったからである。ディームは地域有性繁殖集団とも言い、植物ではいわゆる群落のことである。この語は岸氏の指摘通り当初はガモディームとか、エコディームのように接尾語として提唱されたが、現在では単にディームと言えばガモディーム(地域有性繁殖集団)を指す(ケンブリッジ大、生態・進化・分類事典 Lincoln
et. al. 1982)。
ディームは進化や分類の基本単位である。以前は分類学で何を分類するのかと言う基本点が明確でなかったため、群落内の個体変異まで変種や型(forma)として記載していた。しかし近年になり、分類すべき対象はディームという集団であるという認識が広がり、それが一方では種の統合(変種や型の整理)となり、他方では種の細分化(ディームごとの区別)となっている。単に細分主義か、統合主義かと言う問題ではない。
また遺伝的解析が進むにつれ、種は以前考えられていたものよりかなり小さいということも判明してきている。シダやコケなどでは以前1種とされていたものが遺伝的解析の結果、5~6種以上に分解されるケースが相次いでいる。
ところで、種はディームの集合であるが、品種は種内変異である。しかし日本のサボテン・多肉園芸ではその区別はこれまでほとんど認識されず、いわゆる和名には両者が混在していた。過去の和名学名対照表(例:松井謙治氏。趣味の多肉植物に収録)でも両者は全く区別されていない。そして岸氏も種名(ディームの名)と品種名(種内変異)の区別に全く気が付いていないようである。したがって議論は必然的に見当違いになり、かみ合わないのだが、岸氏はその原因に気が付いていない。
加えて岸氏には八千代錦等、おそらく雑種であろう古い園芸個体を基にして、その輸入時の学名がどうで、最近輸入されるものはこうだと言うような、個体を基にした議論が多い。輸入時の学名など輸出業者が適当につけたものが大部分で、特に古い時代に輸入された種名など全く信用できない。議論すべきは名前ではなく、産地である。
このように、岸氏はディームや有性繁殖集団と言う言葉はご存じのようだが、この概念が今日の分類学、進化学、生態学にどのように影響しているかは全く理解されていない。個体写真の違いを多々指摘していることから推定されるように、基本的に個体を単位として発想しており、群落内の変異についてはほとんど考慮、考察していないようである。
次に問題なのは岸氏の表現法である。岸氏は自分が知りたい事や、わからないことがあるとすぐ、「説明すべきである」と書く癖があるようだ。しかし専門家が新種などを記載する場合、対象とする読者は他の分類専門家である。ハオルシア研究誌をキュー植物園やベルリン博物館その他の専門家に送っているのはそのためである。また世界にはサボテン、多肉の新種記載だけチェックしている専門機関もある。不備な記載を発表すればすぐに指摘が来て、訂正を余儀なくされる。
したがって新種記載やそれに関係した議論などの場合、著者は命名規約だけを念頭に文章を書く。それ以外の説明はいわば読者サービスである。たとえばBayer(1999)のH. arachnoidea v. namaquensis はどこにも基準産地の植物の写真がなく、それがどのような植物であるのか全く分からない。しかしタイプは指定されているので命名規約上は問題がない。写真がないからと言って「写真を掲載すべきである」とは言えないのである。
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新種などの記載に関して「~すべきである」と指摘できるのは命名規約上不備がある場合だけで、それ以上の説明をしてもらいたい場合は「わからないから説明して欲しい」と頼むのが礼儀である。もちろんそのような希望があれば折を見て説明するが、「説明すべき」と批判するのはまったく筋違いである。
もう1点指摘しなければならないのは岸氏の知識不足、勉強不足である。分類は素人でも比較的首を突っ込みやすい分野であるが、専門家を相手に議論したり、批判したりしたければそれなりの準備や勉強が必要なことは言うまでもない。
分類学は素人でも首を突っ込みやすいと書いたが、議論するとなれば、まず調べようとするディーム(群落)や関連群落のサンプルを1群落あたり3個体以上(できたら5~10個体)集め、産地を地図上で確認し、各群落の形態や変異の幅を比較し、関連する記載や文献を調べ、その上でそれらが同種なのか別種(新種)なのか議論するということになる。
そのためにはまず産地の詳細な地図、原記載その他の関連文献、それに最新の命名規約は必須である。岸氏には個人的返事の中でこれら資料を入手して目を通すよう、入手先も含めてアドバイスしたが、おそらくそのほとんどは現在でも入手されていないであろう。しかしこれらはいずれも基本中の基本的資料で、それなしで議論できるほど分類学は甘くない。
岸氏はこれら基礎的資料を見てないためか、初歩的な誤りが大変多い。たとえばガイド誌263号2~3ページでH. wimii の記載には「記載文がない。変種を種にしただけだからsp. nov.ではなくstat. nov.のはず。基礎異名としてH. schuldtiana v. major しか記されていない」などと批判している。
H. shuldtiana v. major を独立種とする場合、本来なら変種名をそのまま昇格させてH. major とすべきであるが、H. major という名はすでに他の植物に使われていて使用できない((Aiton)Duval, 1809)。そこでH. wimii という新名を与えたのである(nomen novum)。この場合重要なのは、sp. nov.にするか、stat. nov.にするかではなく、新名によって置き換えられた基礎異名が直接かつ十分に引用されているかである。
基礎異名は1953年以降は直接引用に限られている(32条5)ので当然初出であるG.G. SmithのH. shuldtiana v. major であり、BayerのH. emelyae v. major ではない。これは規約の定めであり、「そうする理由が聞きたい」(ガイド誌272:12ページ)などと岸氏が言うのは命名規約を読んだことがない証拠である。また基礎異名の出典を明記すれば記載文は不要である。
なお念のため、世界的分類学者に確認したところ、H. wimii の記載 (当誌3:13) はすべて合法的であるとの返事であった。
またH. wimii はH. shuldtiana の他の変種群とはかけ離れた場所に生育している。岸氏はH. shuldtiana の11変種の中からどうしてこの変種だけを区別して命名したのかと批判しているが、詳細な地図がないからと言って産地も確認せずに、名前だけを基準に議論するのは困ったものである。
ガイド誌272号13ページではH. albertinensis n.n.が新種なのか裸名なのか不明と批判しているが、n.n. が裸名を示す略号(nomen nudumの略)であることは分類をかじったことのある人には常識であり、これを知らないのは論外である。
さらにたとえば、H. opalina について本誌4号8ページの写真とBayer (1999)211ページの写真に違いがあるから、どちらがタイプとして記載されたのか知りたいものだと疑問(批判)を呈している(ガイド誌254:11、13)。しかしそんなことは記載文献(Haworthiad
2001)を調べればすぐわかることで、疑問を呈したり批判をする前に自分で調べるべきことである。自分で調べるのは大変だから教えてくれというのならそのように頼むのが礼儀である。
次に岸氏が取り上げた具体的な種に沿って反論しよう。
ガイド誌254号ではゼニガタやマルガリティフェラ/プミラが中心議題である。
岸氏はゼニガタの記載に関し産地が特定されていないことを批判しているが、産地の確認は新種記載の絶対条件ではない。新種は①形質的に近縁他種から識別可能で、②自然状態で繁殖している集団であり、③雑種や特異個体ではない、ことが確認できれば記載可能である。遺伝学者はこれにおそらく④近縁他種から生殖的に隔離されている、を加えるであろう。
ゼニガタはカルフォルニア大学に南アフリカから(たぶんBeukman氏から)送られた5~6個体が元で、このとき付けられていた名前がH. margaritifera v. beukmanii(裸名)であったと言われている。私は1983年に渡米し、この植物を管理していたドドソン博士を訪ねて現物を観察した。
これらの個体は径15cm、高さ30cm程度の大きなもので、互いによく似ているが結節の大きさや配置、植物体の大きさなどが異なり、それぞれ別クローンと推定された。また大桑氏の実生実験から実生個体の形質が非常にそろっていることも確認している。雑種であれば第2代において形質が分離してくるのが常なので、この個体群は雑種ではないと考えられる。
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以上の観察と実験結果から、①,②,③の各条件はクリヤーされていると見られるので新種と判定した次第である。
また岸氏は私がゼニガタと同定したMoerasrivierの植物(ハオルシア研究8:14)は記載個体のゼニガタとは違うと批判している。しかし、では何かという話になると現時点ではやはりゼニガタでしかない。私は種内変異の範疇であろうと考えている。
マルガリティフェラ/プミラ論争については当誌18号に詳細な比較表を載せた。説明を繰り返すが、H. pumila という名は本来この種の正名になるべきであったが、先に別の植物(H. herbacea)に使われてしまった。そこで2番目に古い種小名であるmargaritifera が使われるべきであるが、この名は合法名ではなかった(A. pumilaに対する不要名)。そこでDuval(1809)はHaworthia属を作る時、3番目に古いmaximaを代替名として正名H. maxima (Haw.)Duvalにしたのであろう。なお私が一時H. margaritiferaを正名としたことは誤りであった。
岸氏は八千代錦、長者ノ宝、冬の星座、秋天星等(の違い)を説明すべきなどと言っているが、先の指摘のように分類学上の種と種内変異である園芸品種とをまったく混同している。
ガイド誌263号ではH. emelyae v. major が中心議題である。H. shuldtiana v. major からH. wimii に名前を変更した経緯については前ページですでに述べた。岸氏は新産地の変種マジョールと新産地のウイミー、さらには通称マジョールなどを区別すべきと言っているが、各産地ごとにどれくらいの個体数を見ているのであろうか?H. wimii はGarcias Pass一帯に広く分布している。新産地のH. wimii はこれまでの産地とは2km程度しか離れていない。また私が新産地の発見者P. Bosch氏を訪ねて採集品を確認したところ、窓の真っ白な、よく出回っている個体は特異個体で、他の個体は一般的なGarcias
Pass北口産と変わらなかった。つまりこれらはみな同一種とみてよい。花期が違うという指摘もあるが、多少違っていても重なっている期間がある程度あれば生殖隔離はないので同種と考えられる。また実際の産地でどれ位花期が違うのかも確認する必要がある。
H. asperula はHaworthにより1824年に命名された。基準標本や図は残っていないが、1836年発行のSalm-Dyckの本に鮮明な図が残されている(この図はBreuerによりH. asperula のneotypeに指定されている)。Salm-Dyckの本はHaworthやDuvalが活躍していた当時の植物の鮮明な図が多数収録されている貴重な資料で、古い名前の植物に関しては後世の資料よりはるかに信頼性が高い。これを見るとH. asperula がピグマエアよりレツーサに近い植物だということが分かる。
この植物がピグマエアに混同されたのはおそらくScottの誤った分類に原因する。Scottは窓に毛状突起のあるレツーサ様植物をすべてH. asperula にまとめてしまったが、今日の常識からすればもちろんそれらが同一種であることなどあり得ない。Scottはディームなどという発想は全く持っていなかった。
さてSalm-Dyckの図のH. asperula に近い植物はRiversdaleの東に複数の大きな群落で存在する。日本でも竜寿や吉沢寿などの名で流通している。ただH. asperula という名を使うと混乱が予想されるので、私はH. impexa (粗毛のある)と呼ぶ予定である。一方、青ガニはTradouw Pass産の別種で、H. mamilaris (乳頭突起のある)とする予定である。窓の突起が前者では剛毛状であるのに対し、後者は窓と同色の粒状結節であるのが相違点である。
BayerはこれらをすべてH. magnifica にまとめており、ハオルシア再訪のH. magnifica v. magnifica の写真は1枚を除きすべてこの2種のどちらかである。しかし両種の産地は約50km離れており、産地の状況もかなり異なる。両産地の中間に未発見の類似群落があるとしても、これらの間に頻繁な遺伝子交換がある(=同種)と推定するのは困難であろう。
ガイド誌263号には他にオブツーサの話が出てくるが、これは相当複雑なので稿を改めて説明する(訂正、変更多数有り)。
ガイド誌272号ではスプレンデンスが中心議題である。
この中で岸氏はH. splendens とH. esterhuizenii の相違について相変わらず個体写真と名前を見比べて議論しているが、実際に産地データのついた個体を各5~6個体以上見比べれば、同定に迷うような中間型個体は全くないということが分かる。花期と葉裏の斑紋が最も特徴的相違だからそう指摘したが、それ以外にも両者には多くの違いがあり、見間違うことはない。
また両種の産地は約20km離れており、H. splendens の群落は3つで最大100x100m程度、H. esterhuizenii は50x500m程度の大きさの1群落しかない。中間には類似群落も孤立個体も一切発見されていない。したがって両種がそれぞれ独立した遺伝子プールを持っていることは明らかである。
本誌8号6ページに説明したとおり、USAのH. splendens は ’Bob’s Red’ などごく最近のものを除きすべてDr. Herrが採集した最初の2個体の子孫である。したがってもちろん種としては同一である。アビーとメサのものは違う、などという議論は園芸品種としての話で、分類学上の議論ではない。前にも指摘したが、岸氏は基本的に分類学的種と栽培品種との区別をほとんど認識していない。話が混乱するのは当然である。
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なお本誌8号6ページではDr. Herrが最初の2個体をアメリカに送った時、誤ってH. dekenahii として紹介した、と書いたが、正確にはH. dekenahii v. argenteo-maculosa として紹介している。これがH. splendens が長いことH. dekenahii v. argenteo-maculosa と誤って呼ばれた原因である。
H. dekenahii とその変種argenteo-maculosaについてはいろいろ混乱があり、一部は完全には解消されていない。まずH. dekenahii であるが、以前この名で売られていた植物はほとんどすべてがピクタかピクタ交配である。黒縞デケナヒーはピクタ交配、福屋氏本36ページのデケナヒーはピクタそのものである。H. dekenahii は希少種でほとんど市販されていない。
H. dekenahii v. argenteo-maculosa は最近ではH. silviae として認知され、H. splendens と混同されることもなくなった。本種を変種から種として昇格させる際、名前をsilviaeに変えたのはH. splendens (旧アルゲンテオマキュローサ)との混乱を避けるためで、もちろん合法である。なお、H. silviae はMrs. Silvia Tijmens(ティーマン夫人)にちなんだ名で、本来銀色という意味はないが、白い窓のイメージに合っている。
ついでに岸氏はH. hayashii という名が記載者(=林)と同じであることを珍しい(ガイド誌272:15)、とか言って批判しているようだが、全く事実と異なる。命名者が自分の名を冠した名前を付けるのはむしろよくある例で、全く珍しくない。
H. hayashii の命名は出版妨害などを繰り返す悪質な研究者が明らかな既存種にH. hayashii と2重に命名し、この名を永久に使えなくする妨害行為を予防しただけの話である(学名はたとえ悪意的、意図的な誤用であっても、一度使われると同じ名前はもう2度と使えない)。H. breueri やH. esterhuizenii の命名も同様の理由である。
岸氏が名前の問題に加え、種や変種の問題についても全く見当違いの議論をしている背景には、ハオルシアの群落や分布の特性について全く知識不足である点が指摘できる。ほとんどのハオルシアは非常にコンパクトで境界の明瞭な群落を作る(詳細はハオルシア協会ホームページを参照)。多くの場合、群落はわずか数m2からせいぜい数百m2程度の大きさしかなく、そこに数十から数百個体が生育する。群落どうしは通常数kmから数十km離れており、中間に孤立個体は全く見つからない。したがって各群落は他群落から非常によく隔離されており、他の多くの多肉植物や一般的植物とはかなり異なる分布型である。岸氏は連続的に分布して少しずつ形質が変化する分布型を想定しているようだが、全く見当違いと言うほかない。
分布の特性は多くの場合どの文献にも出ていないが、分類上は非常に重要な特性である。このような分布の特性は産地をいくつか見て回ればすぐに理解できるはずだが、岸氏はハオルシアの産地を全く見たことがない。勉強不足以前の問題である。
なお群落内の個体は一般に変異が大きいが、逆に非常に安定した、均一な形質の群落も多数ある。したがって各群落ごとに変異性とその幅を確かめる必要がある。
もう1点、指摘しなければならないことは、岸氏の議論にはたとえば松井謙治、水野辰司、龍胆寺雄氏など、往年のサボテン界の権威者が多数登場、引用されている。しかしこれらの人々はいずれも分類の専門家ではなく、所詮素人の域を出ない。おそらく岸氏と同様、分類学的基礎資料も持たず、ハオルシアの産地など見たこともなかったであろう。そんな素人の意見や見解など引用しても何の役にも立たない。なおこの点ではかっての大学や研究所のサボテンや多肉植物で有名な先生方も全く専門家ではなかったことに留意すべきである。
岸氏の批判に対する私の反論は要するに、批判したいならもっと勉強すべし、ということに尽きる。ディームの概念、種と栽培品種との違い、種概念、特に生殖隔離と種の具体的基準などを十分勉強し、発想を切り替える必要がある。さらに専門家を相手にその分類を批判したければ産地の地図と原記載文献、命名規約に目を通すことは最低限の条件である。
しかし命名規約も読んでいない人物が自分の判断だけでガイド誌のような批判ができるとも思えない。つまり岸氏は誰か他の専門家の意見を聞いており、それでこのように自信たっぷりの批判ができるのであろう。岸氏はBayerの見解に好意的なようなので、今後のためにBayerの問題点を記しておく。
Bayerは高卒後karoo植物園に勤め、そこで植物学を学んだ。その後Karoo植物園の園長 になったが、不祥事で同園を解雇され、現在は採集許可を持つ商業的園芸業者である。(この採集許可は繁殖用親木の確保のためで、採集株をSheilamに売ったり、尻尾を振る人間に分けてやったりするためではない。)
ところでBayerは科学が基本的にどういうものか、全く理解していない。ガリレオやメンデルの例のように、科学的真理はたとえ生きている間は認められなくてもいつかは必ず評価されるようになる。だから出版妨害などしても無駄だということになるのだが、Bayerは反対意見の出版を抑えれば自分の見解が真理になると考えているようである。
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またBayerは種概念等のあいまいさを突かれるのを恐れてか、本格的論戦を避けているように見える。反対意見の出版を妨害したり、批判に反論しないのは基本的に自分の理論に自信がないからである。もっとも自分で反論しなくてもリビダなどを少しくれてやれば、自分に代わって批判者の悪口を振りまく人間には事欠かないのであろう。
またBayerが命名規約を誤解している例もいくつかある。H. pumila (L.) Bayer (ハオルシア再訪) は誤解の有名例だが、他にも彼のH. maculata v. intermedia (ハオルシア再訪p. 91) はH. intermedia v. maculata でなければならない。基本的形態の、または広く分布している種が基準種なのではなく、種ランクで命名の古いほうが基準種になるからである(11条4)。同じ理由でH. decipiens v. xiphiophylla (Haworthiad 16:62, 2002)もH. xiphiophylla v. decipiensでなければならない。H. transiens (Poelln.)Bayer (ibid. 2002)はH. transiens (Poelln.)Hayashi (ハオルシア研究3, 2000)の後位同名である。
Bayerの分類の問題点は再三指摘しているが、まず種の基準が全く統一されていない。類縁関係があることと、種として同一であることとを混同している。また種が頻繁な遺伝子交換により遺伝的に結び付いた集団であり、それにより形態的同一性が維持されることを全く理解していない。彼の大広域な“種“の中でどのように頻繁な遺伝子交換が可能というのであろうか?
分類には違いを見分ける鋭い観察力が必要で、いくら産地をよく知っていてもこの能力のない人は、表面的違いに目を奪われて見当違いな分類体系しか作れない。産地をよく知っていることと適切な分類体系が作れることとは別の問題である。Bayerは確かにHaworthiaの個別産地についてはよく知っているが、ディーム間の細かな差異や共通性、あるいは関係性を見極める能力に欠けている。この能力は分類学者には最も大事なもので、これがなければいくら産地をよく知っていても大雑把で表面的な分類体系しか作れないのは当然である。
最後にハオルシアの分類研究上の基本点をいくつか指摘する。
まず、何度も出てくるが、現地の詳細な地図(25万分の一)、原記載文献、命名規約の3点セットは必須アイテムである。
地図は南アフリカの大都市にある政府の地図販売所でしか入手できない。輸入業者(大手書店など)に依頼すると1枚2500円程度になる。ハオルシアの主要産地はカルー地方を中心に25万分の一x10枚程度でカバーできる。更に詳細な地図(5万分の一)もあるが、膨大な枚数(32倍)になる。
BayerやBreuerの本には産地が細かく記されている。たとえばH. wimii(H. emelyae v. major)の3321 (Ladismith) Garcia’s Pass (-CC) は南緯33~34度、東経21~22度の区画(=Ladismith)を4等分し、左上、右上、左下、右下の順にA,
B, C, Dと分け、さらにCを4等分して同様にCA, CB, CC, CDとした区画のうち、CCの中に産地があるという表示である。これは他の植物でも産地の一般的表示法である。これにより地図に農場名などがなくてもおおよその産地は確認できる。なおこのCCなどの小区画が5万分の一の地図1枚分に当たる。
原記載文献をそろえるのは通常は分類研究で最も困難な作業である。しかしBreuerがHaworthiaの原記載文献等を網羅した資料集(The
world of Haworthias 1 & 2)を出版したので、誰でも簡単に原記載が見られるようになった。この本はタイプ写真などもすべて添付されている画期的な出版物である。
命名規約の最新版は2006年のVienna Codeだが、訳本はない。少し古いが1994年の東京規約は訳本が漢方薬のツムラから発行されている(2840円)。基本的内容に大きな変化はないので、とりあえずこれに目を通せば、初歩的ミスは避けられる。
分類研究で最も基本的な資料は生きたサンプルだが、幸い最近ではSheilam、Eden Plants、Kambrooなどから正確な産地と採集番号のついた苗が売られている。ただし1群落最低3個体、できたら5~10個体は購入し、形質の平均や幅を確認する必要がある。また特にSheilamでは採集番号の誤記が多く、さらに誤交配による雑種化や作業ミスによる異苗の混入などがあるので注意が必要である。加えてSheilamのリストでは種名がしばしば変わるので、採集番号で確認する必要がある。
産地を見ることは非常に勉強になるが、ハオルシアは最も見つけにくい植物である。したがってKambrooなどの現地ツアーに参加することが現実的である。ただし採集はできない。
岸氏の林に対する批判は単純な疑問や批判ではないようなのでこのような手厳しい反論になったが、誰かの依頼によるようなものでない限り、基本的に批判や論争は大歓迎である。梶原氏などはメールで何度も批判的な意見をぶつけてきたが、この論争はかなり楽しいものであったし、形質や関係性の見直しの基ともなった。ハオルシアの分類は難解なパズルであり、まだまだ未完成である。批判や論争の中で見落としていた点や、新しい関係性などが発見されることを期待している。
ハオルシア協会のホームページに掲示板が開設されたので、今後はそこで分類論議が盛り上がることを希望したい。
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